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山下達郎CM全集 Vol.1 (2nd Edition) : ミニ英和和英辞書
山下達郎CM全集 Vol.1 (2nd Edition)[やました たつろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
下達 : [かたつ]
 (n,vs) commanding a subordinate
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [ぜん]
  1. (n,pref) all 2. whole 3. entire 4. complete 5. overall 6. pan 
全集 : [ぜんしゅう]
 【名詞】 1. complete works 
: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 
2n : [2n]
 2n, diploid number

山下達郎CM全集 Vol.1 (2nd Edition) ( リダイレクト:山下達郎CM全集 Vol.1 (Second Edition) ) : ウィキペディア日本語版
山下達郎CM全集 Vol.1 (Second Edition)[やましたたつろうしーえむぜんしゅう ヴぉりゅーむ わん せかんど えでぃしょん]

山下達郎CM全集 Vol.1 (Second Edition)』(やましたたつろうシーエムぜんしゅう ヴォリューム・ワン セカンド・エディション)は、1996年6月に発売された山下達郎通算2作目のファンクラブ通信販売アルバム。
== 解説 ==
山下達郎が過去に手がけてきたコマーシャル作品の中から選曲された、CM作品集。
山下がバンド“シュガー・ベイブ”でプロのミュージシャンとして活動を始めたのは1973年夏。プロとはいえ別にスカウトされたわけでも、どこかのプロダクションに売り込んだわけでもなく、いわば“自称”のプロ。マネージャーを引き受けた友人がいくら頑張ってみても、無名のバンドに仕事などそう簡単に入ってくるはずも無く、シュガー・ベイブはスタート当初はほとんど開店休業の状態で、とても生計は成り立たなかった。
そんな中、1973年秋頃から山下と大貫妙子村松邦男のシュガー・ベイブのフロント3人は、大瀧詠一のレコーディングにコーラスでいくつかの仕事に参加するようになった。当時、大瀧がもっとも精力的に取り組んでいたのがTVコマーシャルの仕事で、同年春、大瀧のCMデビュー作“三ツ矢サイダー”が評判となり、はっぴいえんど解散後ソロ・シンガーとしてスタートしようとしていた大瀧にとって、CMは格好の自己表現の場となっていった。
したがって、山下達も大瀧のCMの仕事に関わっていくことになった。大瀧の後ろでコーラスやパーカッションなどの細々した作業を手伝いながら、自身もバンドで曲を書き歌っていた山下に興味を示したのは、フォーク界から広告代理店へ転身した牧村憲一だった。1974年6月、牧村から「君もCMをやってみないか?」と電話があり、レコーディングのノウハウもスタジオ機材の使い方もよくわからないまま、山下はCM作家としての第一歩を踏み出した。
表現手段としての明確な自意識を持ちつつCMと対峙していた大瀧と違って、山下によれば「とりあえず食べる為」という、不純かつ哀愁の動機だった。CMの仕事が得られたお陰で困窮から逃れ、何とか音楽で生活する目処がたったというのは、あまりかっこいい話とは言えないものの、当時はそれが切実な問題だったという。山下の場合、作っていた音楽がソフトでメロディアスなものだったことや、本来の作家志向が幸いして、CM音楽を副業にすることでなんとか親の世話にもならずにやっていけるようになったのだから、その意味では運の良い方だったのだろうという。
以来80年代に入る頃まで、とにかく生活のために様々なCM作品を作った。最初のうちはただがむしゃらだったのが少しずつ余裕が出るにつれて、CMの仕事は本来の音楽活動に反映できるような様々な実験の場、あるいはラテンジャズなど、本業以外のスタイルが楽しめるちょっとした息抜きの場へと、その性格を変えていった。また、ソロ活動の最初数年間はお世辞にも順調とは言い難く、そうしたことへの苛立ちを鎮める上でも、CMは大きな意味を持っていた。
以来、気づいてみればストップウオッチ片手に100本以上もこなしてきた、いわば業界のプロになってしまったのだから、判らないものだという。山下が始めた頃と比べてCMの在り方もその質もずいぶん変化し、その後CMはヒット・ソングを作り出す上で非常に重要な要素と化し、主たるCMはほとんどタイアップの手段としか見られていないのではないかとさえ思え、30秒と15秒にすべてを賭ける所謂コマソンの概念は過去のものになってしまった。その一方では低予算化、すなわち多くのCMが小さな独立スタジオから作り出される手軽なエレクトロニクス・ミュージックで代替されるようになった結果、どれもこれも同じになってしまった事も否めないという。
だが、そうした様々な変化があったにせよ、コマーシャル・メディアはどこまで行っても所詮は“虚”の作業でしかないというジレンマを抱えてはいるものの、時代の息吹を敏感に吸収し、新しい可能性を積極的に取り入れるCM業界の貪欲さは、若い才能を育てる場としての大きな役割を常に果たしてきたし、恐らくこれからもそうであろうと山下は考えている。
後になって考えてみると、山下にとってCMの仕事とは、一見内職の体でありながら、実はそれ自体が当時自分に与えられたただ一つの“場”であったように思えてならないという。もっともCMを頻繁に手掛けていた時代に抱いていた、自分の場所が思うように見つからなかった事への苛立ちがまだ残っていたため、本来TVCMのために作った作品をレコード化し、普通のアルバムのように販売するという決断は、その要望が大昔からあったにもかかわらず、長いことなかなか踏ん切りがつかないままだった。
その一方で、人に言われるまでも無く、自分の作ったささやかな30秒作品のいくつかは自分でも気に入っていて、それらをもう一度人の耳に触れさせたいという欲求があったのもまた事実であった。色々悩んだ末、1984年にコンサート・プログラムのおまけという変則的なスタイルで12作品が『山下達郎CM全集 Vol.1 (FIRST SELECTION)』のタイトルで、17センチ45回転アナログ盤でレコード化された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山下達郎CM全集 Vol.1 (Second Edition)」の詳細全文を読む




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